第九回「死と死と死と邂逅」 里村邦彦 |
「――協力してくれると、云いませんでしたっけ?」 すう、と。シエルが目を細める。やや中性的な風貌に、ゆったりとした黒衣を併せ、半ば慈母のような面立ちだ。 けれども、あれは女じゃない。食指が動かないし。ましてや聖人なんてものじゃない――頭の中には殺意だけ。 わたしは呼吸を落ち着ける。やはり身体が鈍ってる。普段の生活でならともかく、この状況じゃありがたくない。 「いろいろ事情がありまして。そうですね――」 ことばを捜すように、視線をさまよわす。云う事は決まっているけども、時間がいる。リズムを立て直す時間が。 沈黙が降りる。律儀に二の句を待っていてくれているようで、両の手には六本の長剣が握られたままだ。 いつでも殺せる、ということなのだろう。わたしは敵意を露にした瞬間に。そしてさっちんは、動こうとした瞬間に。 つまり余裕のあらわれってやつだ。 最強吸血鬼から、どれ程聞いたのかは知らないけど。わたしの脅威度は、その程度と判断されているらしい。 たぶん油断とも呼べない油断だけども、現役バリバリの人外戦闘員から生き延びるための、数少ない手がかり。 利用しない手はないし、利用しなければ――まあさっちんを見捨てて逃げないかぎり、わたしまで返り討ちにあう。 つまりタイミングだ。 「例えば、愛ゆえにとか」 「笑えないジョークですね」 一歩、間合いが詰まる。刃はだらり、とぶら下げられたまま。どんな理屈かはしらないけども、彼はあの姿勢からであっても、刃を“撃ち出す”ことができる。 だから、武器がその手にある限り、いつでも臨戦態勢だ、ということになるのだけど―― そう。臨戦態勢。それが、今の状況を抜け出す……突破する、唯一のキーワード。そのはずだ。 「汝の隣人を愛せよ――じゃ、ありませんでしたっけ? 神父さんなんでしょう?」 「その文言は、人間に使うものですよ。敵対者にまで愛を注ぐのは、それは異端です。宗教というのは、異端と異教を排して成立するものですから」 「……基督さまが聞いたら、嘆きますよ。きっと」 シエルとさっちんが戦ったとき。最後に何が起きたのか、直接には見ていないけれど。台詞から察するに、彼は渾身の一撃を受けてはいるはずだ。 普通なら、致命傷になるであろう攻撃を、防御することなく。 彼は、予知能力を持っている――と宣言した。予測ではなく、予知。だけど、その言葉には、どうにもおかしい点がある。 ちょっとした口伝。その言葉が嘘か本当かは、判断できない。けれどすべて真実だとしなくては、思考自体が成り立たない。 綱渡りだ。でも、その先に出口がなければ。一切の嘘も虚飾もなく、真実に“先を知る”力がある相手が敵だとすれば、わたしに勝つ術はない。 何せ、わたしの身体はどう頑張っても、さっちんよりも速くも剛くも動いてくれないんだから。 「時間稼ぎですか。逃げるつもりですね? 無駄ですよ?」 「……うわ、バレバレみたいですね。困ったなー」 さらに一歩踏み込んでくる。おそらくは、より確実にトドメをさすために。避けられない至近距離から、避けられない速度の攻撃を撃ち込むために。 まだ、殺気は動かない。油断……というか、こっちは動けない吸血鬼+肉体的には並の人間なんだから、余裕か。 だから、わたしは必死に、最高速で思考をふり回す。 口伝、ということは、それ以前、どれくらいか昔に、それを編み出した人間がいる。 その人間は、当然、不死身でも不滅でもなく。たとえば、刀で刺されれば致命傷を負う体だった。はずだ。絶対。 ならば、それが戦闘用の技術である以上、予知が“完成した”とするためには、最低限対応しなくてはならないことがある。 ……不意打ち。まったくの虚をついての一撃。それを読みきり、全て防禦・回避すること。 そのためには、常時、一手先を読みきらねばならない……日常に潜む一撃が、一番怖いんだから。行住起臥、常に戦場の心得にあるべし、だ。 でも、シエルは……技を“使う”と表現した。 使わなくてはならないのだ。使わなくては先を読めない。だからそれは、新たな感覚を得て、常に一手先を読み続けるような種類のものではない。 だから、それは……つまり、“攻性”の予知。予測を飛び越え、周囲の状況と情報とを織り込み、相手の動きを確定したものとして知った上で、攻撃を潰す一撃を叩き込む。 格闘技とか武術とか、そんなものに関わる人間なら誰しも本能的にやっていることを、思考のレベルにまで引き摺り下ろして……完全な形で処理する。 そんなことが可能だとは、わたしには到底思えないけども――しかし、シエルはそれをやってのける。おそらくは、それが予知の正体。 ……そして。わたしが姿をあらわしたときの一言。 あの台詞には、確かに……疑問の色があった。それは、つまり―― 「あんまり余裕を見せられるのも、気分がよくありませんね。……そろそろ切りましょうか?」 つまり、シエルの技は、対象を特定しなくては使えないということだ。 予測でも予知でもどうでもいいけれど……相手がどんな状態にあるのか、知覚していなくてはならない。 シエルが眼を閉じた。殺気が弾ける。押し寄せる。死の刃が一斉に飛ぶ。 手元に眼をやる。痛みが走るほどの力を込めて。薄らと……線が、浮かび上がった それにもう一つ。シエルの予知は、こちらの思考を読むことはできていない。 何故って……私には逃げる気なんて、これっぽっちもないんだから! 人のカノジョをあんな目にあわせておいて、見過ごしてほしいなんて虫がよすぎるって! わたしは一気にナイフを振りぬいた。線を…… 空気に浮かぶ「死の線」を、断ち切る。 爆音が轟く。 轟然たる音と風が走り、耳が何も聞こえなくなる。 空気の繋がりを“殺す”ということは、つまり、そこに強制的に真空を作り出すということ。 どんな理屈で撃ち出しているにせよ、シエルの刃は飛び道具。しかも軌道修正もきかない。 強烈な大気の乱れに飲み込まれれば――。 案の定、放たれた剣は軌道を逸れ、わたしの身体をかすめるような軌跡を描く。それをナイフの一振りで叩き落し、わたしは地を蹴った。今の身体でもこの間合いは、すでに一刀足のなか。 シエルの顔が驚愕に歪むのが見えた。何も聞こえないけれど、悲鳴のような声のひとつも上げているかもしれない。 そう。この事態は、絶対に予測できないもののはず。わたしがものを“殺す”のは、世界の埒外。絶対にありえないことなんだから。 爆音で耳はつぶれ、嗅覚じゃ動く目標は取られない。肝心要の視覚は、“予知”の予備動作なのか瞑られたまま。 そして……幼い日の思い出。青児先生を襲ったときに知った。魔術的な感覚、魔術が「そうあるべきだ」と規定するそれを、わたしの“眼”は裏切ることができる。 どんな手段であるにしろ、視覚に頼っていない以上、その世界を“知る”手段は、ひと時封じることができるはずなのだ。 だから……ほんの一瞬。爆発する空気にも邪魔されて、シエルの動きが滞る。 より至近距離から、大気の爆発を受けていたけど、わたしの方には覚悟があった。予めタイミングがわかっていれば、それは衝撃。衝撃なら――受け流せる。 結果。そのひととき、シエルの持っていたアドバンテージは全て打ち消され―― 爆風の中、無防備な懐へ飛び込んだわたしは、彼の身体に走る“線”を、縦横無尽に掻き切った。 驚愕に歪んだままの顔。身体。細切れになって崩れ落ちる中に、必死に目を凝らす……“点”を、より確実な“死”を見つけるために。 きしむ身体に鞭打ち、一度、二度、三度と……突き立てる。点へ。今までなら無駄としか思わないほど。でも、まだ安心できない。相手は不死身。 アルカードだかアルクェイドだか、あの吸血鬼だって戻ってきたんだから、シエルだって蘇らないとも限らない。 ……七度、八度、九度。引き伸ばされた一瞬の中で、わたしは斬り、突き、刻む。まだ、線は消えない。点も消えない。殺しきれていない…… 止めをささないと。次に見えれば、勝てる保証はどこにもない。次は……何もかも、間に合わないかもしれない。 そんなのは、絶対に御免。 二十、二十一、二十二……二十三。切る。断つ。貫く。切り刻む。まだ消えない。終わらない。 一瞬が終わる。爆風で打ちのめされた身体、“死”を見ることで酷使された命が、痛みと疲れとを思い出してしまう。 ……まだ、終わらないのに! まだ、終われないのに……まだ 一瞬が終わる。 幸運にも潰れてない鼻に強烈な血の臭いが流れ込んで、冗談みたいな量の血潮と人の中身がぶちまけられる。 視界が赤黒く染まる。上下の左右の感覚が消える。意識が―― 一声で背筋が凍った。脊髄が丸ごと氷にすげ変わり、汗がふき出し、けれども酷使の過ぎた身体は高熱を発して悲鳴に換え、指一本まともに動かせない。 裂けた肉から血が流れ、痛みはすでになく熱さもなく、ただ心地悪さだけが残り、べったりと服がへばりつく。 目の前の肉の小山から、ずるり、とまずは上半身が這い出した。どんな理屈か、カソックまがいの服まで、アイロンがけでもしたようにまっさらにして。 地面に両の手をついて、懸垂の要領でさらに下半身。傷一つない、嫌になるほどにこやかな男がそこに現れる。 「結構痛かったです。これで満足して死ねますか? ああ、僕もお仕事ですから、恨んでくれても結構ですよ。化けて出ても、記憶の一欠けらまで殲滅して差し上げますから」 穏やかな口調で穏やかでないことを淡々と口走り、ひょいと上げられた手の中にはいっぱいの剣が現れていて。 やめて、と叫ぶ声は声どころか呼気にもならずに。 剣が飛び、行く先はわたしじゃなくて背後の、それはつまりさっちんに向かって 悲鳴、台詞とやってることが違うとか、肉を貫く音骨の砕ける音、何かがぶすぶすと燃えて、聞きたくないのに。 肉を貫く音、肉を貫く音、肉を貫く音。手が振り下ろされ、剣が飛び、肉を貫く音、肉を貫く音、肉を貫く音が。 見えないのに見える。悲鳴が聞こえる。それは、たしかに、わたしの大切な人が 「――――!」 あげる悲鳴で、肉を貫く音、骨の砕ける音、肉を貫く音骨の砕ける音。肉、骨。砕けて散って燃え上がって。 「――きちゃん! しきちゃん!」 痙攣でもするように身体が震えて、ああ振り向かなけりゃいけないのかと冷静な自分を見つけて死にたくなる。 がくんがくんと振れる体、いっそこのまま頭でも叩き潰れてくれればいいのに。 「しきちゃん! ねえ、しっかりしてよぉっ!」 悲鳴? ……ぽたり、と妙に冷たい水滴が額に落ちて、何かと思ったら視界一杯にぐしゃぐしゃに泣いたさっちんの顔。 「……あれ?」 もう一度雫。正体がわかって、どうやらさっちんの涙、こう冷たいのはやっぱり体温がないからなんだろうかとか。 そういえば、頭の後ろに感じる感触は冷たくて、ああこれはたぶん膝枕なんだな。 革くさいような汗臭いような砂臭いようなこれは、体育用具の臭いで。……って、あれ? 眼鏡のない目に映る世界に微かな頭痛を覚えて、それが一気に閉ざされ、柔らかい感触が。 「ねえ、大丈夫? 大丈夫? 痛いところない? 私、誰だか覚えてる?」 くぐもった声が聞こえて、どうやらさっちんに抱きしめられてるらしいことが判った。認識力が落ちてる。 「……うん、ええと、大丈夫。悪い夢、見てただけみたいだから……ちょっと頭痛いんで、眼鏡かけさせてくれるかな?」 「あ、うん、あの……うん、割れてなかったよ、確かここに……はい」 手渡された眼鏡をかける。慣れた肌触りと重さと、一瞬被って見えた黒い線ののたうつのが消えて。 これでどうやら、わたしは安定したと確認する。 少しきしむ体を起こしてみれば、辺りには跳び箱やらスコアボードやらが並んでいて、わたしたちは体操用マットの上で顔を見合わせていて。 手狭な部屋の中に階段。それに、起き上がって気付いたワックスの香り。ここは…… 「体育倉庫? うちの学校の?」 「あのね。一番手近で見つかりにくい場所って、ここしか思いつかなくて。部活で使ってたから、いろいろ慣れてるし……」 見れば板張りの床に、ばっくり開いた救急箱が、中身を吐き出して転がっていた。よっぽど慌てて使ったらしい。でもって、わたしの身体には絆創膏やら包帯やら。 何か妙だと思ったら、ジャージに着替えさせられてたりするし。 「ありがと。大丈夫みたい。骨も折れてないみたいだし、捻挫もないし。打ち身と切り傷は、手当てしてくれたんだよね?」 「うん、で、あの、服は……」 かぁっと顔赤らめてたりして。体温なくても、どうやら血はながれっぱなしなのか、それともこんな風なときだけ流れるのか。 それにしても、ねえ。 「略奪愛って感じで人をモノにしようとしといて、一回剥いたくらいで照れないでよ、さっちん」 「……あう」 さらに赤くなったりして。高血圧で倒れたりしないんだろうか。血がエネルギー源なわけだし……って。 「さっちん、そういえば、あなたこそ大丈夫なの!? あんなにボロボロにされちゃって、身体は……」 「あ、えっと。平気だよ。うん、平気……平気」 笑ってみせる。けど……確か。 さっちんと、あの路地で唇を重ねたときには。彼女の体には……ぬくもりがあったんだ。確かに。微かな……でも、確かなぬくもりが。 それなら、今、こんなに冷え切ってしまっているということは…… 「平気って、身体、ものすごく冷たいじゃない!」 「私って、ほら、死んじゃってるよね? だから冷たいの。ほら、平気へい……」 立ち上がって、何か平気っぷりをアピールしようとした様子のまま。 さっちん空気が抜けたみたいに、とさり、と崩れ落ちた。 「って、ねえ、ちょっと、ああもう、どうすれば――」 傷だらけの貧血常習者の前で、吸血鬼が貧血起こしてるのは滑稽というか当事者にしてみれば冗談どころじゃなくて。 あのあとシエルがどうなったのかとか、そんなことは一切気にする余裕もなく。 わたしは悪夢と地続きの、何をどうして解決したらいいやらもわからないような、目暗滅法な混乱に陥る破目になった。 |
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