第二回
水無月 忍


秋。

夏の面影が見事に消え去ってしまった十月も半ばの木曜日。

自分こと遠野色(とおの・しき)は、八年ぶりに長く離れていた実家に戻ることになった。

それまで自分の部屋だった有間家の一室に手を合わせて、誰にとも無く呟く。

「それじゃ行ってきます。八年間、お世話になりました」

ぱんぱん、と柏手を打った後、鞄一つだけを持って、慣れ親しんだ部屋を後にした。



「色」

玄関口まで見送りに来た啓子さんは、淋しそうな目で私の名前を口にした。

そして心配顔の啓子さんに私は笑いかける。

「大丈夫。八年も経てば人並みに健康な体に戻ります。こう見えてもワリと頑丈なんですよ私の体。」

「ええ、そうだったわね。けど遠野の方たちはみなどこか違っている人達ですから、色が圧倒されないかと心配で」

啓子さんの言いたい事は何となく分かる。

「遠野」と名前が付いている以上、会ったが最後いきなり大量のお米券進呈などという状況になってもおかしくはない。

その上今日から私が住む事になる家は、お屋敷とも言える時代錯誤な建物なのだ。

住んでいる家も立派なら家柄も立派と言う名家で、実際いくつかの会社の株主でもあるらしい。

加えて言うのなら、八年前に長女である私……遠野色を親戚である有間の家に預けた、私にとって本当の家でもある。

それでも、私は啓子さんに告げる。

「でも、もう決めたことですから」

そう。もう決めたことだった。

「……それじゃあ行ってきます。今までお世話になりました。」

最後にもう一度だけそう言って、八年間馴れ親しんだ有間の家を後にした。



「……はぁ」

有間の家から離れて、いつもの通学路に出た途端、気が重くなった。

八年前。

普通なら即死、と言う重傷から回復した私は、親元である遠野の家から分家筋である有間の家に預けられた。

半ば養子という形で有間の家に預けられてからの生活は、いたってノーマルなものだった。

あの時……別れ際に先生が言ったような特別な出来事は全く起こらなかったし、私も先生がくれたメガネをかけているかぎり『線』を見ることが無い。

遠野色の生活は、本当に平凡に、とても穏やかなまま緩やかに流れていた。

つい先日、遠野家当主から『今日までに遠野の屋敷に戻って来い』などというありがたいお言葉が来るまでは。

石頭の頑固親父に、行儀作法にうるさい屋敷の生活は子供心につまらない物に思えていたため正直実家との折り合いは悪かった。

だからすんなり養子に出たが、それはそれでよかったと思う。

有間の家の人達ともうまくやっていけたし、義母の啓子さん、義父の文臣さんとも本当の親子のように過ごしてきた。

特に血の繋がりの無い妹とは、それはもう仲良くやってきた。

野に下ってから初めての妹と言うこともあり、ちょっと可愛がり(×調教し)すぎたかもしれないが……都古ちゃん、今日から(色んな意味で)夜泣きしなければいいけど……

……そんなことを考えていたら、とてもまずいことを思い出す。

腕時計は七時四十五分を指している。

うちの学校は八時ちょうどにホームルームが始まるから、八時までに教室に辿り着かないと遅刻が確定してしまう。

とにかく学校までダッシュすることにした。



「ハア、ハア、ハア……」

自覚のあるスタミナの無さの割には、家から学校まで十分弱。

まあ、100メートルを七秒で走らされなかっただけマシだろう。

いつものように裏門から学校に入る。

「そうか。裏門から入るのも今日が最後か」

位置的に有間の家と遠野の家は学校を挟んで正反対にある。

だから明日からは正門を使うことになり、必然的に裏門は使わなくなる。

……言うまでも無いと思うが一応言っておくと、有間の家は貧乏では無いが、それほど大金持ちと言うワケでもない。

……まあ、何が言いたいのかと言うと、入学する時まで裏口を通ったワケではないという事だ。正々堂々、試験を受けてこの高校に合格したのだから、世間様に後ろ暗いコトをして高校に入ったワケではないと言うことを誤解しないで貰いたい。

……本当だぞ。

とまあそんな事を(誰にとも無く)言い訳していると、どこからか半端にリズミカルなトンカチの音が聞こえてくる。

「トンカチの音か……って!?」

かーん、か、かかーん、かっこん。

方向からすると中庭の方だが……

時計を見る。

ホームルームまであと十分無い。

なんだか気になるのは確かだが……

ふとその瞬間に何故かバチカン辺りから来た聖堂騎士が、トンカチ片手にどこぞのJ○JO(全く伏字になってない)でもやらないくらい後ろに反り返ってゲァハハハと大笑いしている幻視が見えたので、おとなしく無視して教室に向かうことにした。

君子危うきに近寄らず。

雉も鳴かずば撃たれない。

と、言うわけで教室に直行した。

さようなら知らない誰か。

縁があったらいつか会うこともあるだろう。



その後同級生のYに挨拶されたのでついでに上から下までじっくり視姦してみたところなんとなく私の『妹』になってくれそうな予感を感じたり、中学からの腐れ縁のオレンジ頭ウィズピアスの乾に「ブルーだ」と言ったら「あの日か?」とフザケタことを言いやがるのでとりあえず鳩尾へのショートアッパーでマットに沈めておいたり、事務室に急いだら先輩にぶつかったけどもまあ知らない人だったと思うので放っておいたり、そうしたら何故か乾とその先輩と昼食を摂る事になってしまったりと、ごく普通に一日を送った。

……ってちょっと待て。いくら私でも普段はこんなに波乱万丈な生活はしていないぞ。

今日はちょっと特殊な一日だった。

ま、何をするわけでも無く教室に居座っていたが、もうすでに夕方だから覚悟を決めて帰ることにしよう。

帰り道、思い浮かぶのは弟の秋覇の事と、よく一緒に遊んだ元気な『妹』と、窓の上から私を視姦していたおとなしそうな『妹』のことぐらいだ。

「……あの子たちもまだ屋敷にいるのかな?」

鞄の中を漁ると、そのおとなしそうな『妹』に渡されたリボンが出てくる。

『妹』には悪いが、結局一度も使った事は無い。まぁ、使い古してボロボロにしてしまったら返すに返せないからこれはこれでよかったのだろう。

私はとりあえず弟の秋覇よりも、今もいるかどうか分からない『妹』達との再会に思いを馳せながら屋敷に続く坂を上って行った。

……屋敷は私に不相応なほど大きく、立派だったことを付け加えておく。

正直ちょっと早まったかもしれない。しかし今更後悔しても始まらない。

後悔先に立たず。

とにかく私は門をくぐった。



出迎えてくれたのは割烹着を着た元気な少女だった。

……かなりアナクロな制服だが、これはこれでかなり良い物なので何も言うまい。

着せたのは誰か知らないが、ツボと言うものを心得ている。

良い物だ。これはとても良い物だ。

一人小さくガッツポーズなんぞをしている私を不審に思ったか、少女はかすかに首を傾げた。

「……色さま……ですよね?」

「え?ああ。そうですけど……」

多少うろたえながらも答えると、『妹(勝手に任命)』は気さくな笑いをこぼす。

「ですよね?もう、脅かさないで下さい。わたし、また間違えちゃったかなって恐くなったじゃないですか」

……その「また」というのが多少気になったが、まあ多くは問うまい。

しかしイメージがぴったりと合う。

「貴女、もしかして子供の頃私達と一緒に遊んだ子?」

恐る恐る聞くと、『妹』は本当に嬉しそうな満面の笑みを浮かべた。

そのまま『妹』は秋覇が待っていると言う旨を告げ、さっさとロビーを横切って行ってしまう。しかしそこでふと振り向き、『妹』は言った。

「おかえりなさい。色様。どうぞ今日からよろしくおねがいします」

……口を開けば欲望垂れ流しの言葉しか出なさそうだったので、気の利いた言葉一つ言えずに『妹』の後について行った。



それから八年見ないうちに良家のおぼっちゃまになってしまった秋覇に散々嫌味を言われたり、その隣に仁王立ちしている漆黒のリクルートスーツにサングラスの似合う、大統領身辺警護やMIBの連中もかくやと言うゴツい男があの割烹着の『妹』(琥珀と言う名前らしいが)と双子と言う衝撃の事実を知らされたりと、今日はかなり波乱万丈な一日だ。

その上そのゴツい男(緋翠と言う名前らしい)を私の下男にされてしまった。

……私の記憶の中では双子の「少女」だったと思ったんだが……これも記憶障害の影響なのかもしれない。もしくは「こうだったらよかったのに」という希望で記憶が改竄されてしまったかだ。

どうせなら琥珀の方が良かったのだが……しかし秋覇が言うには衣服の洗濯や掃除までしてくれるらしい。

日々の雑用をこなすリクルートスーツ。

毎晩夢に見そうなので止めてもらいたいが、ちょっとだけ洗濯中のリクルートスーツを見てみたい気もする。

もはや緋翠なんて名前は知らない。こいつは「リクルートスーツ」だ。

しかもこのリクルートスーツ、第一声が何かと思えば『お勤めご苦労様でした姉御!!!』だ。私は塀の中から出てきた人か、ヤの付く人種とか暴の付く人種とか中国マフィアの情婦か、水商売のママさんか!?

しかもこれで私と同年代。

この身から垂れ流されている威厳とか貫禄とかは何だ。

腕だけで私の胴回りくらいの太さがある。

それが無言で威圧感と共に佇んでいる。

岩か?こいつは岩なのか!?

しかも重低音のへヴィヴォイス。

しかし夕食後のベッドメイクをするリクルートスーツ。

このミスマッチはもはや笑うしかない。しかし本人を目の前にして笑うわけにもいかない。

なにか注意されたような気もするが、そんなもんちっとも聞こえない。

もはやこの異様な光景だけでお腹一杯だ。

さらに思いついてしまう。

使用人と言う事は出迎えとかもするはずだ。

屋敷の前で仁王立ちして私の帰りを待つリクルートスーツ……もはや厨房の琥珀さんと同じくらいハマリすぎていて何も言葉が見つからない。

本気で勘弁してくれ。

「……それでは姉御。自分はこれで失礼します」

「あ。ちょっと……」

出て行こうとする緋翠に何気なく私は手を伸ばし……次の瞬間起こったことが、私には分からなかった。

あの緋翠の巨体が全く似つかわしくない速度で振り返り、伸ばしかけた私の手首を掴んでねじり上げる。

いたたたたたたたたた!痛い痛いマジで痛い!!!

突然の事なので叫ぶ暇さえ無い。

一瞬で緋翠が硬直する。

「も……申し訳ありません姉御!!!ですが出来れば自分の後ろには立たないで頂きたいのです!!!」

そのまま緋翠は神速で土下座する。

「あ……その……すまん」

自分でも分からないうちに何となく緋翠が可哀想に思えたので一応謝っておくことにした。

なんとなくこのまま放っておいたら切腹しかねない気がする。

しかしそれは間違いだった。

「も……勿体無いお言葉に御座いまする姉御ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

号泣。男泣き?否漢泣きだ。

もはや手の付けようは無かった。

私に出来る事は何も無い。

ただ笑い出さないように蹲って痙攣していた。



とにかく漢泣きする緋翠を部屋から追い出して一人になる。

「はぁ、これからどうなるんだろ、私」

誰に聞かせるわけでもなくぼやいたが、頭の中は鼻歌混じりに掃除する緋翠の想像で一杯だった。

夜中に部屋で一人爆笑していたら危ない人になってしまうので、なんとか堪えて一人肩を震わせていた。

そうしていつしか私は眠りに落ちていた。



……ちなみにこの日の夢は「とぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁ!!!(重低音)」と叫びながらモップがけをする緋翠だったことを付け加えておく。
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