第一回 「遠野色」
里村邦彦

(1)


 目が覚めた。
 なんだかひどくまぶたが重い。目を開けるのに苦労した。
 だから最初に感じたのは、むっとするほどの薬のにおいと、乾いた空気の感触。
 病院。たぶんそうだ。けど……なんで?
 頭が重い。そういえば体にも、やけに力が入らない。
「気がついたかい」
 白衣の男の人が、やさしげな口調でそう聞いてきた。
 たぶんお医者さんなんだろう。いっしょにいるのが、看護婦さんみたいだし。
「回復おめでとう、遠野色ちゃん」
「あの……ここは?」
 わたしは部屋の中を見回した。狭い部屋。白い部屋。
 カーテンも、壁も、私の寝ているベッドも、何もかもが真っ白い。
 ……でも。
「ここは病院だよ。きみは交通事故に巻き込まれてね。ここに、」
 といって、お医者さんは首筋に手をあてた。
「大きなガラスが刺さっていたんだ。とても助からないような怪我だったんだよ」
 つられてわたしも、自分の首を触ってみる。やけどの跡みたいなてざわりがした。
 ふらり、と部屋がゆらめいた。
 ……きもちがわるい。「あの。なんだかねむいんです」
「ああ。それなら眠った方がいい。まだ体が弱っているだろうからね」
 お医者さんは優しそうな笑顔ををうかべている。
 でも。なんだか、ものすごくへんだ。だって、
「先生。ひとつ、聞いていいですか」
「なんだい?」
 笑顔が。きもちわるい。
「その。からだのラクガキ、なんなんですか。部屋もヒビだらけだし……」
 カオにもカラダにも。びっしりと、クモのアミみたいに――黒い線がある。
 それはまるで、軽く触っただけでも。
「壊れちゃいそう……」
 お医者さんが、なんだかものすごくいやそうな顔をした。
 でも、それはほんの短いあいだだけ。すぐに笑顔に戻ると、
「疲れているみたいだね。やっぱり眠ったほうがいい」
 といって、部屋から出ていった。
「やはり、脳に異常があるようだ」
 看護婦さんに、そう言ったのが聞こえた。



 お医者さんは、わたしがおかしいと思っているみたいだ。
 おかしいのはそっちの方なのに。黒い線は、こんなにはっきり見えているのに。
 わたしはそっとベッドから起き上がった。眠いけど、なんだかそうしないといけない気がしたから。
 窓際の白い台に、果物かごが置いてある。わたしはそこに手をのばす。
 にぎりしめたのは、リンゴでもナシでもなくて、こぶりの果物ナイフだった。
 銀色の刃はよくとがれていた。じっと見つめる、わたしの顔がうつっている。
 黒い髪。黒い瞳。すこしやせた女の子。見なれた顔がそこにある。
 やっぱり黒い線が走っていて、わたしはすこしうんざりした。
 でも。それより気になることがある。
 わたしの頭をぐるりとまいて、もやみたいなものが渦をまいていた。
 ――いやな感じがした。
 もやの中にも、黒い線が走っている。ひび割れている。それもなによりびっしりと。
 部屋の中にあるどんなものより、もやは壊れやすそうに見えた。
 わたしはわけもなく、頭のすぐそば、もやのひび割れをなぞって、ナイフを動かす。




 途端に。
 頭の中で何かの封が、ふつりと音を立てて断ち切れた。


(2)



 ……落ちかけた朱い日の光が、葉の落ちてスリムになった枝越しに差している。
 獣道すらない、足場の悪い山の斜面。わたしはそこを、全力で駆け抜ける。
 岩を蹴り木肌を踏み、そのまま真上へ駆け上がる。幹の半ばまで達したところで水平跳躍。
 つぎの樹から、またそのつぎの樹へ。次々に飛び移り、駆け下り、駆け上がる。
 飛び移り、駆け下りて、駆け上がる。
 飛び移り、駆け下りて、駆け上がる。
 飛び移り、駆け下りて、駆け上がる。
 それを、動きにパターンが生まれないよう、組み合わせや跳ぶ方向を変えつつ繰り返す。
 三十四本目の樹を駆け下りたところで、ナイフを抜いた。
 目をこらすまでもなく、周囲の何もかもにを覆い尽くして、縦横に黒い線が走っているのがわかる。
 適当に目に留まった立ち木の、「線」をなぞって刃を一閃。
 異様にきれいな切れ口を残して、名も知らない樹が真っ二つになった。
 そこで動きを止めない。
 左右へ分割して倒れてゆくところへ、立て続けに切りつける。
 木っ端屑ひとつ飛ばさずに、おそろしく細かな木材の山ができた。
 それを確認せずに認識し、わたしはさらに加速した。
 ほとんどケダモノみたいな姿勢で、木立の中をすり抜けてゆく。
 ひとしきり走り続けて。不意に視界が開けた。
 馬鹿みたいに大きい夕陽が、お向かいの山に消えようとしていた。


 わたしはおおきくひとつ息をついた。

 名前も知らない山の中、芝でおおわれた小さな広場。たぶん公園か何かだろう。
 芝生へ腰を下ろしたとたん、ずしりと体が重くなる。予想外に疲れているのだ。
 意識せずさらに体が崩れ、芝に横たわる羽目になる。汚れたら手間になってしまうけど、とめられなかった。
 ……いくらなんでも鈍りきってる。
 ほんの十分、全開で動いただけで、こうまで消耗してしまうとは。
 なっちゃいない。本当になっちゃいない。体力ががっくり落ちていた。
 ……長期入院患者なんだから、仕方がないといえば仕方がないんだけど。
 今も、着ているのは入院服だ。要するに、病院を抜け出してきている。
 もちろん泥なんてつけていない。どんなに疲れても、怪しまれるような行動をするほどへぼじゃない。
 そもそも人目につかないように、病院から近く、かつ殆ど人気のないここを見つけ出したわけで。
 たぶん血なんだろう。そうしたことにかんして、私のカンは妙に鋭く冴えてくれる。
 そう自認していたし、実際ここ三日ほどの間、ここにやってきた人間は一人とていなかった。





 だからあの人を見たときの反応も、ある意味で仕方のないものだったと思う。




「変わったところに、変わった格好でいるんだね」
 その一言と同時に、私は跳ね起きた。
 木々の間、公園に通じる林道。人が来るはずもないと確信していたそこに、男が一人立っていた。
 長身でやや痩せ型。ラフな、要するに動き易そうな服装。歳は、だいたい二十代中盤くらいだろうか?
 彼の発した言葉自体に、他意はないようだった。怪しげな含みも感じられない。
 問題は、その一言を聞くまで、かけらも気配を感じなかったということ。
 それに、彼が手にしている大きな旅行鞄にまとわりつく、強烈な違和感だ。
 ぎっちりとまとわりついた、不可視だと視認できる何か。確固たる理に基づく力の塊。
 わたしは彼から注意を外さず、周囲をざっと走査する。気配はない――気付けないだけかもしれないけど。
 ……退くべきだろうか?
 否、と、わたしのものであってわたしのものでない経験が告げていた。


 ――あの鞄を警戒せよ。あの力を警戒せよ。正体の知れぬ力を警戒せよ。
 仮にアレが得物だとして、まさか格闘用ということはないだろう。可能性が高いのは飛び道具。
 ならば背を向けるのは愚の骨頂。そもそも射程が読めない以上、なまなかな移動では逃れられないと思え。



 息を溜める。
「ええと、君は」
 男が言葉を続け、それが言い切られる前に、私は最高速で林の中へと飛び込んだ。
 間断なく動く。地面を、木々の上を駆け抜ける。上下左右に位置を振り、射線を定めさせない。
 そのまま林を経て、男の真後ろへ回り込んだ。並みの人間、真っ当な人間なら、絶対反応できない動き。
 それでも男はこちらへ向けて身を捻る。……やはり、尋常じゃない。
 けど、遅い。
 わたしはナイフを抜きざま、男の「線」へと切り付けた。
「うぁっと――」
 妙に間抜けな声を漏らしつつも、男はきっちりとそれを避けてみせる。
 ……まだ予測済みだ。「感じられなかった」相手を、一撃で仕留められるとは考えていない。
 ナイフの軌道を引っ張る。斬撃の向かう先は……男の鞄。正確にはそれを覆う力の網。
 訳のわからない武器を潰してしまえば条件は五分。周囲の地形に慣れている分こちらが有利。
 違和感にナイフを突き立て、そのまま一気に引き裂いて――



 いきなり。強烈な衝撃が、真正面から襲い掛かってきた。
 弱った身体ではあらがうべくもない。わたしは、いともあっさりと気絶した。


(3)



 からだがあたたかい。あたたかなもののうえで、あたたかなものを枕にして、どうやら横になっているらしい。
「……でいいと思うんだけど……」
 何かぶつぶつ言っているのが聞こえた。だれだか知らないけど、まあ目を開けるのがおっくうだ。
 このままもういちど、眠ってしまおうか。
「使い慣れないからなあ。いくらなんでも死なれたら寝目覚めが悪いし」
 どこかで聞いたような声。誰の声だったっけか――
 まあいいんだけど。
「……名前も知らないんだよな。なんて呼んだらいいやら……」
 その後にぶつぶつと、代名詞を口の中で転がしているらしい声が続く。
 ……誰だった。これは、
「お嬢さん? 大丈夫かな?」
 ……鞄を手にした男のビジュアルがフラッシュバック。
 わたしは目を見開き、そのまま跳び退
「ああ。どうやら無事みたいだね」
 黒い線が目に飛び込んでくる。
 鞄の男がこちらを見下ろしていた。身体の位置関係からするに、どうやら膝枕されている状況。
 逃げようと試みるものの、びくとも動けない。何かで縛られているらしいが、それにしてもおかしい。
 なんで、身体に力が入らない?
「悪いんだけど封印かましてある――いきなり物騒なことしてくれるから」
 ……要するに今わたしは、どうされようと文句の言えない状況にあるということか。
 それこそ、首をへし折られても。
 ……まあ、彼にそこまでの筋力があるとは思えないけど。
「まあ、あれだ。変わった動物でもいるのか、みたいな調子で近づいたのは謝るよ。いやホント」
「……わたしをどうするつもりですか?」
「どうするって……人聞きが悪いな」
 男は苦笑いを浮かべた。
「いきなり襲い掛かってきたのはそっちだろ?」
 それは確かにそうだ。でも、人がこっそりといるところに、気配を殺して近づいてきたんだ。
 殺されても文句は
 ――え?
 今、わたしは何て――
 そもそも、なんでこの人を殺そうとしたんだろうか?
 それに。なんでこっそり抜け出して、こんなところにいたんだっけ?
 ……なんとなく抜け出して、ここにいたっていう、それくらいの自覚しかないことに気付いた。
 わからない。自分のことすらほとんど何もわからないけど、たったひとつはっきりしているのは――
「……どうしたー? 目がうつろになってるぞー?」
「あの。……すいません、すいません、すいません!」
 おもわず全力で謝っていた。首から下が動かないせいで、頭を下げることもできないけど。
 男のひとは笑顔のまま、見ていると妙に背筋が寒くなるような視線でもって、こちらを覗きこんでいる。
 わたしは息を止めた。
 そのまましばらく硬直と沈黙。
「まあ、いいさ。なんか事情がありそうだし」


 一瞬自分の耳が信じられなかった。謝って許してもらえるようなことだろうか普通。
 人を殺そうと飛び掛っておいて。


「あの、いいんですかほんとに?」
「いいって言ってる。それより、聞きたいことがふたつばかりあるんだよね」
「あ、あの。はい、わかりました」
 ちょっとした混乱のなかで、わたしは答えた。
 いったいどんな調子で口走ったやら、自分でもよくわからないけど――少なくとも、男のひとは苦笑している。
 ……恥ずかしい口調だったらしい。
「君は……ええと。呼びづらいな。名前を聞いておきたいんだけど。とりあえず俺は蒼崎青児。青児でいい」
「青児さん、ですか。あの、蒼崎さんでは」
「いや。言い換えよう。俺としては青児さん「が」いいの。君は?」
「ええと、わたしは色です。……色」
 苗字も名乗ろうか、と思ったけども、少し複雑なものが胸によぎったので、思いとどまった。
「じゃあ色ちゃんね。君、こんなとこで何やってたの?」
「あの……よく、わからないんです。体を動かさずにいられなかったというか……」
 正確には――たぶん、体を動かして、何かを切り刻まずにはいられなかった、なんだろうけど。
 林の中を探せば、昨日までわたしの犠牲になった「立ち木のみじん切り」が、ごろごろ見つかるはずだ。
「ふぅん……まあ、若さっていうやつかなあ」
 俺もまだ若いんだから、こういうセリフを言っちゃいかんよなあ、とか、青児さんは何かぶつぶつ言っている。
 気を取り直したようにうなづいた。
「まあそっちはいい。問題はこっちの方なんだけど――」
 ひょい、と男の人は何かを取り上げた。
 旅行鞄、だった。わたしの切り付けた傷が、横面に走っているから、さっき持っていたあれに違いない。
 応急修理らしい紙テープでぐるぐる巻きにしてある。強い違和感は健在だった。
「色ちゃん、どうやって、この鞄を破ったんだい?」
 口調からするに、やっぱり何かいわくつきらしい。さっきの衝撃といい……
 中身は何なんだろう、一体?
「これの中には……まあ、言っちゃってもかまわないか。魔術師の遺産が入ってるんだよ。物騒なのが色々と」
 わたしの内心を読んだかのように、青児さんはそう言った。
 魔術師。実際に見るのは、これが初めてだ。たぶん。
 欠け落ちた記憶のなかで、もしかしたら会ったことがあるのかもしれないけども――
「なんだい、ハト豆って顔だな。どうかした?」
 本気で心を読んでるんじゃないかというようなタイミングで、青児さん。
 私は少し考えたけども、素直に言っておくことにした。
「いえ。あの、魔術師の人って、会ったことがないので」
「……ふぅん?」
 青児さんはまた目を細めた。あの、妙に冷たい視線が戻ってくる。……確かに、「魔術師」って感じの、目。
 しばらくまた沈黙。
「……わかった、信じよう。じゃあ、なんであの封印を壊せたんだい」
 薄々そうじゃないかとはおもっていたけど、やっぱりあの鞄、開けたらまずいものだったらしい。
 で、ぎちぎちに封がしてあって、ぱんぱんに張ったところに、わたしが穴をあけちゃった、と。
 それは破裂もするだろう。
 しかし、どうやって答えたらいいだろう? やれるからやった、以上の答えはできないような気がするんだけど。
 仕方なく、わたしは「そのまんま」な回答を選ぶことにした。
「あの。なんとなく、まとわりついているものが見えて。そこについてる線を切ったんです。それで」
「壊れた? ……うん。線ね……線」
 眉間にしわをよせて、青児さんは鞄をにらんでいる。すごく微妙な、なんともいえない表情をしていた。
 戸惑いと、驚きと、なにかそれとは正反対のものが混ざり合ったようなカオ。
 またすこし間があって、青児さんはまじりっけなしに真剣な顔を向けてきた。
「その線っていうのは……この鞄の他にも見えるのかい?」
 なんだかわかっているらしい。さすがは魔術師、色々と不思議系な知識をもっているみたいだ。
「はい。大抵のものには」
「で、それをなぞれば、どんなものでも断ち切れると……」
 青児さんは真上を向き、空いた左手でもって、くしゃくしゃと自分の髪をかき回した。
 また沈黙。何かを考えているみたいだ。青児さんは顔を一瞬ゆがめてから、
「……色ちゃん。君の見ているものが何なのか、たぶんわかったよ」
 なんだかひどくいたたまれないような調子をのせて、そう言った。
「ここで会ったのも何かの縁だろう。……近々、また来るよ。その時、君の目をなんとかするものを持ってこよう」
 何を言われているのかわからなかった。というか、信じられなかった。
 確かにソレは、ありがたい。というかわたしは、これが見えている状態で、まともに生活する自信がなかった。
 入院中だとか、さっきみたいに身体を動かしている間ならまだ、なんとかなるけども……。
 見えっぱなしで暮らそうものなら、性格が歪んでしまうだろう。それは絶対に。
 だから、そんな、その、「この目をどうにかする」ものは、喉から手が出るほど欲しいのだけど――。
「いいんです、か? あの、わたしと青児さん初対面だし、あの」
 むしろこっちの方が、全身全霊真心込めて、なにかやらなければならない立場のような。
 青児さんは軽く笑った。
「なに。いいさ。言ってるだろ? 縁てやつだ。年下が困ってるときは、年長者がなんとかするのが道理。それに」
 ぱちり、とひとつウインクしてみせて、おどけたように笑いつつ、言葉を継いだ。
「可愛い女の子に男が親切にするのも、また道理ってヤツだし」
 わたしはどんな顔をしたらいいものやら迷って、とりあえず(たぶんむちゃくちゃこわばった)笑みを浮かべた。


 それから。 青児さんは私を縛っていた紙テープ(鞄のやつと同じだった)を解いて、妙な調子の挨拶をして立ち去った。
 ああいうのを気障って言うんだろうなー、なんていうのが、わたしの素直な感想だったりした。


(4)



 それから何日か経った、少し肌寒い日のことだった。
 わたしはあの山の公園で、また身体を休めていた。体力はまだきびしい。けど、身体の勘は戻ってきている。
 世界を覆う黒い線、それについてだけは、これっぽちも変わっていないけども……。
 入院服の上に、今日はヤッケを羽織っている。これ実は、看護婦さんのをこっそり持ち出してきたやつで……。
 昨日も同じことやってたのに、誰も気付かなかったりする。
 いいかげん一週間以上続いている外出を、まったく咎められないあたり、自信をもっていいのかどうか。
 病院関係者が間抜けなのか、あるいは単に遠野の家から止められてるだけかもしれない。
 そんなことを考えながら、ぼんやり空を見上げていると。いきなり背後から影が差した。
「やあ。元気だった? ……て、その服を着た相手にいうセリフじゃないなこいつは」
 やっぱりなんの気配もなく、旅行鞄をぶら下げて、青児さんがそこに立っていた。


「君の目っていうのはね、色ちゃん。モノの終わりを見ているんだ」
 青児さんはそう言った。
 なんだか――よく、わからない。
「終わり?」
「まあ、モノの『死』を見ているってことになるかな」
『死』。死ぬ――殺す。モノが死ぬということはたぶん壊れるということ。
 だから、切れる。
 なるほど。
「で、君には魔術とか、普通は見えないものまで見えると。まあ妖精の眼とかいわれる類のものだろうね。それは」
「ああ。だからこの間」
 鞄をざっくりやれちゃったわけで。
「その、あの、なんというか。すいませんでした」
「いいってば。……たぶんあれも、『死』を見る眼のせいだろうしね」
「え?」
 なんかそれは、あまりにも都合がいいような。悪いような。
「本来見るべきでない『死』を見続けてるんだ。生き死にの境に敏感すぎる性格にもなるさ」
 見るべきでない、というセリフに、なんだかやけに重みを感じた。
 確かに、あらゆるものを『殺す』線なんて――見えないほうが、いいにきまってる。
 少なくとも、普通に暮らしてゆくためには。
「で、約束のもの、持ってきたよ」
 青児さんは鞄(ちゃんと直してあった)の掛け金を外して、いかにも慎重そうに何かを取り出した。
 薄い、小さな桐の箱だった。……なんだか、焦げたような跡があるのはなんでなんだろう?
 す、と差し出されたそれを手にとってみる。軽い。動かしてみると硬い音がする。
「開けてごらん」
「……はい」
 すこしかたい蓋を外した。中に入っていたのは、黒ぶちのメガネ。
 掛けろ、ってことなんだろうか? 視線を投げると青児さんは、小さくうなづいてみせた。
 わたしはメガネを手に取った。手触りが妙に冷たい。すべすべしている。なにでできているんだろうか。
 意を決して、メガネをかけた。


 世界が変わった。

 辺り中なにもかもを覆い尽くしていた、網目のような黒い線が、すっかり姿を消していた。

「……すごい! 見えなくなりました、線が」
「そいつはよかった。……ああそれ、記念すべき出会いを祝しての、俺からのプレゼントってことで宜しく」
「……いいんですか?」
「ああ。どうせ作ったのは俺じゃないし。奪い取ってきたんだよ、それ」
「へ?」
 ……奪い取ったって。一体何をやってきたんだろうこの人は?
 それ以上聞くのがなんだか怖かったので、わたしは突っ込むのをやめておいた。
「ありがとうございます……あの、なんてお礼を言っていいか」
 青児さんは、照れくさそうに頬をかいて、また空を見上げた。間抜けなくらい晴れあがった青空を。
 それから、何かを決意したような、ものすごく真剣な目で私を見据えた。
「お礼はいいよ。それより……頼みがある」
「な……なんですか?」
 微妙に気圧されてしまう。というか、ほとんど人外の迫力をもった真剣さだった。
 完全に人外だったら、むしろ対応しやすいんだけど。
 青児さんは言葉を継いだ。
「これから俺がこの街にいる間、俺と会ってくれないかな?」
「……え?」
「だから。これから何度かデートに付き合ってくれって言ってるの。ここで会うだけでいいからさ」
「あの、え、そのあの」
「大丈夫。同意がなければけしからん行為には及ばないし、話をするだけでいいから」
 ……なんていうか。セリフと表情のギャップがものすごい。
 思わず私は、かくかくと頷いてしまって。
「よし。おーけーおーけー」
 青児さんは、やたらと感慨深げになんども頷いた。
「じゃ、これからしばらくよろしくね。色ちゃん」


(5)



 ……今にして思えば。
 あの言動は、青児さん一流の冗談だったんだ、と理解できる。
 たぶん、今よりさらに不安定で、『眼』に引きずられるわたしを――あの人は、放っておけなかったんだろう。
 メガネをもらった後。あの公園の芝生で、わたしと青児さんは、幾度も話をした。
 色々な――それは、いろいろなことを。
 お互いの家のこと。これまでの経験。そして――生きていくうえでの心得。
 青児さんはほんとうによく喋った。それはたぶん、わたしに何かを教えようとしていたからで。
 街を去っていくまで、ほんの半月もなかったけれど。
 あの人が教えてくれたことは、今も私の中に残っていて。どうしょうもなかったわたしを、支えてくれている。
 どれだけお礼を言っても足りない。もう一度会うことがあったら、こちらから話したいこともたくさんあるし。
 ……たとえば、青児さんは本当はロリコンなんじゃないですか、とか。


 まあ、それはともかくとして。

 私が退院したあと。
 いわゆる古風な名家というやつで、対面を重んじる家だった遠野家は、わたしを親戚の養女に出した。
 ……まあ、もともとあの家の血は引いていなかったんだし、当たり前といえば当たり前だったんだけども。
 それに、あんなことをやってしまったのだから――あれ以上、あの家に居られる自信もなかった。
 有間色という名前になったわたしは、それから八年の間、有間色のままでいた。
 青児さん直伝の人生哲学は、人付き合いから何から、ほんとうに色々な場面で役に立ってくれた。
 友達も恋人もたくさんできたし、親友までできた。それはあのままでいたら、たぶん考えられなかったこと。
 まったくあのひとには、どんなに感謝しても感謝し足りない。


 それに変化が訪れたのは、高校二年のある秋の日。
 遠野の家から届いた、一通の手紙が、そのきっかけだった――
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